愛川町角田の位置集落である海底(おぞこ)地区は、中津川の質の良い清らかな水を使い1789〜1801年頃(寛政年間頃)、あるいは1838年頃(天保9年頃)から紙漉きが始まり、「海底紙」(おぞこうがみ)と呼ばれる独特の板目を持つ風雅な手漉き和紙の産地となりました。この当時つくられていた和紙は奉書紙と呼ばれる最高級の公用紙で、後に京都の嵯峨御所御用の紙を漉くまでに発展したと伝えられています。
こうして海底地区に製紙業が普及していきます。
製紙技術の発達に伴い1917年(大正6年)に埼玉県小川市「細川紙」の製紙技術を導入、原料は小川町から取り寄せたものや、角田付近、あるいは現在の厚木市上荻野辺りで栽培された楮が使用されていました。
合わせて海底和紙製造組合が設立され1915年から1935年頃(大正初期から昭和10年頃)にかけて海底地区製紙業の最盛期を迎え、葉書、障子紙、紙帳、養蚕に使用する蚕卵紙、傘紙などが漉かれていました。
しかし戦後になると、洋紙の普及や社会生活の変化により、製紙業に従事する人が徐々に減少し1980年頃(昭和55年頃)を最後に製紙業は廃れていくことになります。
そんな中、愛川町は海底和紙を郷土の紙として保存すべく1979年(昭和54年)7月、技術者7名を町の重要文化財に指定しました。一方、愛川町繊維会館(レインボープラザ)でも海底和紙の伝統と文化、歴史を保存すべく海底和紙保存会ご指導のもと近隣小学校と協同して卒業証書を手漉き和紙でつくるプロジェクトを進めています。